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MURANOの中世

志摩の賢島付近を歩いて調査していると、志摩観光ホテル(設計:村野藤吾)の建物の基壇部分のデザインが違うことに気づきました。上段の数寄屋風の風を切るような細い庇が特徴のデザインとは別のものがくっ付いています。村野デザインの修道院スタイルはある意味、社会への商業的アンチテーゼとして認識しているのですが、観光ホテルに修道院という杭を打ったのはなぜか、ちょっと気になりました。

当初のホテルは関西、鈴鹿を隔て、移築された村野設計の本場の「海軍将校倶楽部」で、数寄屋風の観光ホテルの前に、彫が深いごついバイキング風の建物が存在していました。その後に今回私が主題にしている中世の杭が打たれた数寄屋風が増築されました。

プロジェクトの時期が神学校、修道院の設計と重なったことも要因ですが、敷地、土地に対して中世の杭が必要だったのだと思います。岩盤が洗われて露出しているような岩の上に、自然に耐え、づれない、固い意匠が選択されたのだと思います。

あおさ派の海の上に、楽しい数寄屋とダークな中世が合わさって見えるのもある意味深い建築の歴史だと思います。

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