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浄土の際

熊野の花火は雄大で有名ですが、ケーブルTVの中継ではお盆の供養面がピックアップされていて、そんなにしみじみ霊祭が関係あるのか気になっていました。熊野三山はそれぞれ観光地として仏教色の社が目的地として確立されていて、北の高野山と合わせて古くからの日本の山岳信仰の場所としては不動のエリアだという認識はありました。花火を打ち上げる場所を初めて歩いてみたのですが、浜より向こう太平洋が浄土のエネルギーを持った大自然でした。波は厚く、浜はきれいな石でゴミなど無く、置いてあったテトラポットは巨物でした。海の環境が人の住む町まで関係しており、人のシステムが二の次になる大きな風習があります。仏教とは人との係わりが強くつながってきているものですが、浄土の海に対しての社が立ち上がった理由が何となく分かりました。修行、修行の人の場所と、それとは別の場所が大陸的に表現されているのが『Kumano』ではないでしょうか。

添付の写真はフォトスポット獅子岩ですが、頭の部分はまるで志摩半島。

時間のある方は和歌山、白浜を拠点に高野山、熊野をひも解いてみるのが新しいと思います。

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